ピースキャンドルナイト実行委員会の委員長を務める 石井 昇さん 渋沢上在住 73歳
語る話題に尽きぬ人生の歩み
○…ピースキャンドルナイトの実行委員会を組織したのは2回目から。戦没者の遺族会会長として当初から委員長に就任、運営に関わってきた。「最近は市民にも関心を持ってもらえるようになってきた」と話す。
○…渋沢上で生まれ育った。当時は戦時中で、平塚が空襲に合い、真っ赤に焼ける空を見たことも。「B29編隊が空を飛んでいたのを覚えている」と振り返る。自身は沖縄での戦争で父親を亡くした。20代の頃、まだ返還前の沖縄に行き、本土復帰運動に参加したことも。「どれほど戦争が悲惨なものなのかを語り継ぎ、今の平和な世界を存続させなければならない」と語る口調に熱が入る。
○…中学卒業後は、家業の農業を手伝いながら東京農大の通信教育で学んだ。その頃、地元でも住宅開発が始まり、今後植木の需要が増えると当たりを付け、樹木の生産を開始。いつしか主になり、造園業を営むようになった。40代から市議会議員を約3期に渡り経験。50代に入って市議を降り、「ちょうど時間が出来た時に、造園の業界紙で樹木医の存在を知った」という。その後、難関と言われる樹木医試験に見事一発合格。現在は、樹木医として秦野市内の文化財や保存樹木の調査、診断、治療などを一手に引き受ける。
○…実行委員長だけでなく、『長』と名のつく役職が他に15個あり「なかなか自分の時間が作れない」と苦笑する。そんな中で自分を見つめる時間は書を書くとき。「最近は、その時に思いついた言葉を書いています」。自身が代表を務める会社「泰山園」の『泰山』は雅号でもある。話をすればするほど、歩んできた人生の話題が溢れてくる。
○…力を入れているのは、激減するヤマユリを増やすこと。「最初は10万粒植えて1本しか出なかった」。それでも根気強く失敗と工夫を繰り返し、「今年はすごく出たんだよ」と喜びに目を輝かせる。「栽培方法を確立したい」と夢を語った。
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