記者が見た、聞いた、感じた、を伝える 被災地の今を訪ねて 8月29日0:00更新
印象的だったことがある。先日、陸前高田市を訪れたときのことだ。取材の合間に地元の子と遊ぶ機会があった。紙飛行機を飛ばしたり、相撲をとったりと底知れないエネルギーに翻弄されながらも「子どもがこれだけ元気なら、復興も順調なのだろう」とどこか感じた節があった。が、やはりそれは安直だった▽彼らが通う小学校では仮設住宅が建っている影響で今なおグランドが使えない日々が続く。震災から3年、そうした背景から小学3年生までの生徒は校庭本来の姿を知らず、鉄棒や体操など限られた場所での体育が当たり前になりつつあるのだという。少女の一人は運動会で「本当はもっと広い場所でやらせてあげたかった」と涙で声を震わせたと聞いた。仮設で暮らす子どもたちは、日常的な我慢や不満はまだ多くあるに違いない▽「被災」には目に見えるものとそうではないものがある。特に後者は時を経るだけ第3者からの見えづらさは増す。被災地への思いが風化してはいなかったか。恥ずかしながら全くなかったと言えば嘘になる。せめて、癒えぬ傷を抱える子どもたちが今もいるのだと、東北に目を向ける意識を持ち続けたい。
(佐藤弦也)
|
<PR>