巳年で見る川崎 過去にこんな出来事が
2013年は巳年。それにちなみ、過去の辰年に起きた川崎での出来事を振り返ってみた。
さかのぼること120年、1893年(明治26年)には大師河原村(現川崎区大師)で「長十郎梨」が発見された。長十郎梨と言えば、昨年4月に川崎区の「区の木」に制定されたのも記憶に新しい。
世界大恐慌が始まった1929年(昭和4年)は新鶴見操車場(現幸区鹿島田・小倉)が完成。日本のテレビ放送が始まった1953年(昭和28年)には、前年に完成していた川崎球場が夏の甲子園予選に初めて使用された。
高度経済成長の真っただ中にあった1965年(昭和40年)は第三京浜が全線開通。このころには川崎は京浜工業地帯の中核を担うほどに発展を遂げていた。
その後、環境問題や公害問題が表面化。それを受けて1977年(昭和52年)、全国初の「環境アセスメント条例」が施行された。当時の市長・伊藤三郎氏の「人間都市・川崎」を目指すまちづくりは全国的にも注目を集めた。
また、同年には大洋ホエールズの横浜移転が決定。川崎市の移転反対40万人署名運動も実らなかった。10月にはロッテオリオンズの主球場となっている。
平成に入り、1989年(平成元年)4月11日には、高津区の竹林で1億3000万円の札束が発見される「竹やぶ騒動」があった。5日後にも9000万円が発見されるなど話題を呼んだが、後に札束は通信販売会社社長が脱税したものだとわかっている。
過去の巳年では何かが「発見」されることも多かった川崎。2013年も何かうれしい「発見」に期待したい。
|
|
|
|
|
|
4月26日
4月19日