川崎区四谷上・下町の地名の由来は、江戸時代にこの地に居住した4軒の須山家だと言われている。
須山治昭さん(85)によると、江戸時代、今の静岡県出身の小泉次大夫が二ヶ領用水の工事を手掛けた際に、静岡県の須山村(現・裾野市)から4人の青年(五平次、忠兵衛、ホーリヤ、カエンドン、いずれも家号)が川崎に入植したのが始まり。この草分けの家が4軒あったことから「四ツ家」といわれるようになり、いつの頃からか「四谷」に変わったと言われている(『川崎の町名』日本地名研究所編 発行=川崎市)。
須山さんは五平次から数えて12代か13代目。戦争で家が焼け、家系図のようなものは残されていないが、代々言い継がれてきたのだという。
四谷上町4番地の住宅に囲まれた一画に、延宝5年(1677年)を最古に、新しいものでは昭和2年(1927年)まで、須山家4軒の墓石が21基ある。墓石の一部に「四ツ家忠兵衛」などの文字が刻まれている。それ以降の墓は地元で「じょんぼ」の名で呼ばれる「善西坊」(川崎区台町)にある。
四谷の墓は一時期手入れが行き届かず、草が伸び放題になってしまったことも。今後の墓の管理を考え、善西坊の墓と一緒にしようという話がある一方、最近住み始めた人の中には、まちの歴史の証明として残してほしいという意見も聞かれるという。
須山さんは「墓をまとめて一つの碑にして、『四谷発祥の地』のシンボルにできないかと考えている。地域の人に自分の住む土地が町名の由来の場所なんだと誇りに思ってもらえたらうれしい」と夢を語る。
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