「東京2020オリンピック聖火リレー神奈川県実行委員会」は12月17日、同委員会が推薦し決定した65人の聖火ランナーを発表した。その内、南区新磯野在住の津田桂さん(54)=新磯小学校教諭=は、1980年に日本がボイコットしたモスクワ五輪女子体操競技の元代表選手。津田さんは、「40年経って、やっと前向きに五輪を迎えることができる」と話す。
15歳で日本代表に
津田さんは東京都生まれ。「お転婆で、エネルギーが有り余っている子だった」と、都内のクラブで体操を始めた幼少時を振り返る。小学校高学年からは、後に全日本のコーチを務める篠原一博さんに師事するなど指導者にも恵まれ、練習に打ち込んだ。跳馬、段違い平行棒、平均台、床の4種目でバランスよく実力をつけ、中学3年時には全国大会で優勝。全日本チームにも名を連ねた。
体操の名門、國學院高等学校に進むと、入学後すぐの80年5月、選考会でボーダーラインの7位に滑り込み、「夢だった」というモスクワ五輪代表の切符をつかんだ。
露と消えた夢
日本オリンピック委員会が、ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻への抗議として、諸外国と共に五輪不参加を決定したのは、その直後。「自分の努力と関係ない形で、こんなに簡単になくなってしまうのなら、大したものではないんじゃないか」。憧れだった五輪への思いが一気に冷めたことは、今も強く津田さんの脳裏に残っている。
「五輪精神の尊さ伝えたい」
その後も、世界選手権出場やインターハイ連覇など活躍を続け、大学や実業団からも誘いを受けた津田さんだったが、「やれるだけのことはやった。悔いはなかった」と、高校卒業と同時に競技を引退した。
結婚・出産を経て相模原市に転居後は、教員を務めながら、地元の体操クラブで子どもに体を動かすことの楽しさを伝えている。「引退後、五輪はずっと冷ややかな目で見ていた。心から応援できなかった」という津田さん。前向きに人生を送りながらも、「奪われた大会」について周囲に語ることはなく、苦い記憶として尾を引いていた。
20年東京五輪招致が決まり、「このまま後ろ向きな気持ちでいるのは嫌だ」と、親交が続く当時の選手団の仲間に思いを打ち明けた。「皆、引退後もモスクワのことは胸に秘めていたが、気持ちは同じでした。当時を知らない人も多い今、私達が東京五輪に関わることで、『ボイコットはあってはならない』と伝えたい」。津田さんは、聖火ランナーに手を挙げた。
津田さんは6月の本番に向け、「これまでの教え子や日本中の子ども達に、夢を見つけることの大切さや自分の可能性、オリンピック精神の尊さを伝えるきっかけになれば」と話している。
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