昨年、日本遺産に認定された「箱根八里」。江戸時代、参勤交代の武士や旅人が通った旧東海道の中で、小田原から箱根までの4里と、箱根から三島までの4里を合わせた道のりで、唱歌としても親しまれている。
箱根八里への関心を深めるため3月18日、小田原の観光関係者やまちづくり団体、商工関係者ら40人が集まり、1日かけて小田原から三島までをめぐる研修会を行った。参加者は朝8時半に小田原宿なりわい交流館に集合し、かつて旅人が難所「箱根越え」の安全祈願をした松原神社を参拝。バスで箱根へ向かった。
歩いて感じる往時の風情
日本橋から数えて二十三里目にある、箱根町畑宿の「箱根旧街道一里塚」。箱根町教育委員会の野坂優介さんの案内で、参加者は一里塚から「西海子坂」の石畳を歩いた。野坂さんによると、箱根街道はもともと鎌倉時代から旅人が歩いていた道ではなく、谷間の険しいルートにつくられたという。「江戸に攻めてこられないように、徳川幕府がわざと歩きにくい道にしたのでは」と野坂さん。箱根関所より小田原側の「東坂」で石畳がつくられた時期は定かでないが、三島側の「西坂」が1680年に整備されたことから、「同じ頃ではないか」と推測している。
その後、甘酒茶屋を訪れ箱根杉並木から箱根関所を徒歩で見学。午後は三島市内の史跡をたどった。研修会を企画した小田原まちセッションズの平井丈夫さんは、「小田原は東海道最大級の宿場町として栄えたまち。箱根八里をまちづくりや観光に生かすためのイメージを持つきっかけになれば」と意義を話した。