宮城県北東部の南三陸町は東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。死者、行方不明者800人以上、3143戸の建物(住家)が全壊(2015年12月31日現在)。いまも町内外58カ所の仮設住宅に1251世帯、3473人が暮らす。
茅ケ崎小・中学校の出身で、震災直後の6月から南三陸町でのボランティア活動を支援し続けているのが千葉道生さん(38)。同町に隣接する登米(とめ)市で宿泊場所を兼ねた支援拠点「カリタス米川ベース」のスタッフとして年間約1千人ものボランティアをコーディネートする世話役を担う。
千葉さんにとって、同市は祖母が暮らしていた思い出深い土地。子どもの頃から年に1度は遊びに行っていた。「祖母が住む地に支援拠点ができて、何か力になれないかと思った」。震災当時、千葉さんはフランスの教会で長期ボランティアをしていた。その任期となる6月を待ち帰国し、米川ベースに赴いた。祖母は震災後、停電が続いていた同市で息を引き取っている。
南三陸町では被災した高齢者や子どもたちが集まる場「お茶っこ」に話し相手のボランティアと訪問するほか、津波をかぶった農地を再生するために石拾いや草取り、植え付けなどの農業支援を一緒に行うなどの活動をする。
千葉さんの役割はこれだけではない。「ボランティアを温泉に連れていったり、美味しい海の幸を食べてもらったり。魅力的な町だと訪れた人に感じほしい。真の復興のためには」。こう語る背景には、南三陸町の急激な人口減少があるからだ。震災直前の11年2月、1万7666人だった人口は15年12月には1万3806人になり、20%以上減った。
「被災地も他の自治体と同様に東京一極集中に頭を悩ませています」と肩を落とす。「人口減少は震災前から課題になっていました。まずは南三陸を好きになってもらい、ボランティアに来た各々が地元に帰ってから、その体験を周りの人にも話してほしいですね。そのために町の魅力も伝えていきたい」
亡き祖母の眠る地で、千葉さんは復興への一助となる活動を続ける。
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