横浜市泉区体育協会の会長を6月14日から務める 石塚 武夫さん 中田町在住 75歳
泉区から日本代表選手を
○…中和田小学校時代は体が丈夫ではなく、「陸上を始めれば丈夫になるし勉強もできる」と藤沢中学校(現・藤嶺学園藤沢中学校)に進学。各種競技で大会に出場した。4人の兄に次いで通った電機学園高校(現・東京電機大学高校・神田)には陸上部がなく、2年生のときに愛好会を設立。3年時には千代田区駅伝で優勝した。高卒後は就職を考えるも、体育教諭の勧めで日体大へ。800mや1500mなどの選手として活躍した。
○…中田駅近くの実家から戸塚駅までの通学は主に徒歩だった。当時はバスが少なく約30分の道のりを最速23分で歩いた。しかも砂利道。大学では箱根駅伝出場も目指した。山下り(6区)を試走するも「1回も走れなかった」と悔やむが、違った形で箱根駅伝に関わるようになる。大学4年時に公認審判資格を取得し、箱根駅伝の戸塚中継所では20年以上にわたり審判(計時)を務めた。
○…中継所を通過する選手のタイムを大声で発するため、大学時代の友人から「今年も元気だな」と電話がかかってきた。テレビやラジオを通して声が伝わっていたのだ。現在は駅伝の走路に観客が飛び出さないよう、注意喚起している。大学卒業後は中和田中学校教諭を経て「やりたかった」という高校教師に。川崎・多摩、横浜日野、港南台、汲沢(現・横浜桜陽)で教鞭をとった。特に汲沢では18年間にわたり体育主任等として携わったため、区内にも教え子が多い。
○…長年、泉区陸上競技協会の会長として活躍しており、昨年、今年と区内の中学校から2年連続で陸上の全国大会に出場したことを我が事のように喜ぶ。「全国に行くと違う世界が見られるんだよ」と微笑む。陸上に限らず、泉区から日本を代表するような選手を輩出すると夢を語るとともに、「泉区を子どもからお年寄りまで、健康でスポーツできるような街にしていきたい」と意気込みを話した。
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