およそ10年にわたり使われていなかった羽太郷土資料館(上飯田町)が、12月1日から放課後等デイサービスの施設として再開。見学再開の道も開けてきた。運営するのは、同町内で47年前から独自に知的障害児者らの支援を行ってきたNPO法人峠工房だ。
羽太郷土資料館は29年前、同地区の羽太俊一氏が開設した民営の資料館で、農具や民具など千数百点もの資料を所蔵・展示してきた。だが、12年前に羽太氏が亡くなり、資料館も閉館。一時、建物を高齢者向けサービスの場として活用しようとリフォームなども行われたが途中で頓挫し、そのままになっていたと峠工房の松本淑子園長は話す。
その間、資料館は小学校の授業などのための一時的な利用はあったものの、見学はできないままの状態が続いていた。だが今回、放課後等デイサービスが始まることで資料館に人が常駐するため、見学の本格再開も近いうちに実現しそうだという。「学校での授業だけでなく、大人が見学するにも素晴らしい資料がそろっている。使ったことがあるという年配の方、マニアにはたまらないはず」と息子の創さん。さらに今後、資料館の空いている部屋を使って、地域の人が集える交流スペースや趣味の教室なども構想中だ。
47年の支援経験
運営を担う峠工房は、松本園長の夫で中学校教諭だった威さん(故人)が1969年に開設した私設の障害者支援教育訓練施設として始まった。知的障害者の最終学歴が中学卒業であることをどうにか変えていきたいと、労働・生活・学習の支援を行ってきたが、当時は法律や制度が整っておらず、無認可のまま、公的な助成を受けず、資金面の課題を抱えながらも活動をしてきた。現在は障害の有無にかかわらず、小中学生や不登校の児童の支援活動も行っている。「皆、きちんと支援すればできることがある。認可されていない分、自由に活動に取り組めた」と松本園長は話す。
「支援に卒業はない」
松本園長によると、資料館を放課後等デイサービスに活用してはどうかという話を知人から持ちかけられたのは今年2月のこと。2012年に児童福祉法により始まった放課後デイだが、47年間の支援経験はあるとはいえ、峠工房はすぐに参入を決意することはできなかった。その理由は放課後デイの対象が6〜18歳の就学中の児童・生徒に限られていることだった。峠工房はこれまで支援の継続を目標に「卒業・終了」はないものとして、年齢を区切らず支援を行ってきた。利用登録者は小学3年生から68歳までのおよそ40人。「最高齢の男性も最重度ながら、本人の強い意思で作業・交流をしに通っている。彼らの支援も続けられなければ意味がない」と創さん。松本園長は「定期的な利用をしなくなっても峠工房は心のふるさとでありたい。40年ぶりにふらっと来る人もいますよ」と笑う。
松本園長が出した結論は、年齢を区別しない既存の峠工房を「第1教室」、資料館を使った放課後デイを「第2教室」とし、並行して支援活動を行うことだった。「大家さんの賛同も得て、破格の条件で貸していただいた。子どもの将来にかかわる重要な仕事という意識を忘れず、これまでの経験を生かし取り組みたい」と意気込む。
一方で松本園長が気にかけているのは地域の反応だ。「やまゆり園の事件があったばかりで、気にされている方もいると思う。第1教室はこの47年間大きな問題もなく活動してこられた。こちらでも安全には気を張り、地域との共生を大切にしていきたい」と語る。
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