厚木では何故だか、大々的な節分の豆まきをやる神社がない。昔からそうだったのか、厚木の節分の歴史を調べてみた。
金田の農家による日誌『星野日記』によると、明治23年の節分前日に「此夜嘉吉大山豆マキニ行」とある。明治時代から厚木の人は、節分は大山へ出かけていたことがうかがえる。
一方、厚木神社でもかつて節分祭が行われたことがあった。昭和36年から2年間、商店街の発展策の一環として行われた。鈴村茂著『厚木神社の歴史』によれば、本厚木駅前から太鼓や芸妓、年男による行列が出発し、神社に到着。一日5回、仮設舞台から豆と景品名入りの小鈴を撒いた。演芸や有名歌手の出演もあり、市内の商店街ではセールも行われたという。
しかし交通量の増加により行列の実施が困難となり、2回しか続かなかった。
以降、自治会主催による豆まきがいくつかの地域であったものの、市全体で盛り上がるものはなかった。
地域のためにと46年
そんな中、市内で46年間豆まきをやっている寺があると聞き、愛名の妙昌寺を訪れた。
午後4時。子どもから大人まで、300人近くが集まった境内。仮設の舞台に住職と年男らが顔を出すと「ワッ」と歓声が起きた。
「鬼は外」「福は内」の掛け声とともに、袋に入った豆やお菓子がまかれる。中には大きな紙袋を掲げ待ち受ける人も。嵐のような5分間だった。
始めて参加したという近所の親子は「こんなの今までテレビで見るだけでした」と楽しげな様子。豆の中には檀家が提供した景品の引換券が入っており、交換所には長い列ができていた。
豆まきを始めたのは、先代住職の鈴木宣誠(せんじょう)さん。盛大な豆まきで知られる身延山で修行したこともあり、地域住民のためにと昭和44年から続けている。豆まきの前には水行、法要も行う。
昨年11月から住職を務める息子の宣康(せんこう)さんは「他の行事は檀家さん向けですが、豆まきだけは関係なく多くの人に来ていただいています。これからも続けていきたいですね」と話す。
時代は変わっても、地域の安寧を願い、豆をまく心は変わらない。
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