活動報告No.196 水と栄えた町・厚木 かながわ民進党 さとう 知一(46歳)
相模川と厚木
その昔、「相模川」は水量が多く、昭和初期まで川を行き交う長閑な帆かけ船の姿は、当時の風物詩でした。
広い地域から「大山参り」に訪れ、多くの人々が、厚木の町に逗留しました。
厚木の花街
私自身も芸者置屋と料理屋を営む家に生まれ、厚木花柳界の中で育ちました。
遊廓のない花街としては、当時、県下最大規模を誇り厚木市は隆盛を極めました。
我が家にも芸者衆や若い板前さんが、住込みで働き、私も寝食を共にしました。
厚木花柳界は、昭和45年(私の生まれ年)に芸者数で最大規模となり、ピークから約10年で、厚木の花街は、姿を消しました。
東日本大震災
我が家に居た「芸者さん」達は、皆、東北出身でした。
たった40年前の話ですが、当時、東北はとても貧しく、出稼ぎも多くありました。
東日本大震災から5年が経ちます。原発事故で故郷を追われた方も多くいます。
多くの方々の想いを胸に県政に励んでいます。
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