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厚木から全国へ、国内屈指の流通網で40周年 日本レコードセンター株式会社
厚木市三田の日本レコードセンター株式会社が産声をあげたのは、1978(昭和53)年3月21日のこと。今年で創業40周年を迎える同社は、CD・DVDなどのパッケージソフトの物流で国内屈指の流通網を誇る。同社の沿革と、従業員750人超が働く現場を取材した。
厚木市長沼に創業
ビクターやテイチクなどメーカー各社の、レコード・カセットテープ・8トラックテープ等の受注・出荷・配送業務を共同で行う会社として創業した、日本レコードセンター株式会社。
1982年にCDが初めて発売されると、市場の拡大と変遷に添うように、物流の拠点を拡充してきた。93年には全国各地に17の物流センターを配備。国内のCD市場が年間6000億円のピークを記録したのは、5年後の98年。そして同じ年に、DVDが初めて日本に登場した。
翌99年には、徐々に利用者数を伸ばし始めてきたインターネット通販に対応する物流サービスを開始。2005年から8年にかけて市内に9拠点あったセンターを上落合と長沼に集約し、CD・DVDのレンタル・販売を手がけるTSUTAYAを展開するCCC((株)カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の物流業務を一手に引き受けるまでになった。11年には日本ビクター傘下からSBSグループ傘下となり、13年には厚木市三田に全社機能を集約、現在に至る。
現場主義で効率アップ
菊地和彦社長が掲げるのは、”現場目線”の経営。時間を作ってはセンター内を巡回し、作業効率の見直しや従業員の動線改善などに取組んでいる。
働く人の、実に9割を占めるのがパートスタッフと契約社員。日本レコードセンター株式会社を支えている”屋台骨”とも言える現場スタッフたちと直接言葉を交わし、自らフロアを歩くことで、より効率のよい作業環境を整えることに努めてきた。
全国のCDショップから正午までに受けた注文なら、たった1枚でも北海道から九州・沖縄まで、翌日に届けることができる。これは24時間受注可能なシステムと、独自の全国配送ネットワークの構築に加え、中には勤続20年以上になるベテランもいるスタッフたちの力によるところが大きい。
「あなたが注文したCDやDVDは、もしかしたら三田のこの地から発送されたものかもしれません。40年かけて築き上げた国内屈指の流通網は、まだまだ進歩の余地があります。スタッフ一丸となって、41年目に向けたスタートを切りたいと思います」と菊地社長は抱負を述べた。
「働きやすさが秘訣」中島さん(契約社員)と麻生さん(パート)の声
社屋内で働く人の9割を占めるのがパートスタッフと契約社員。勤務環境を、勤続11年の中島さんと、入社7カ月の麻生さんに聞いた。
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市内から路線バスで通勤する中島さん。子どもたちの手が離れてきて、飲食店清掃から勤務時間を延ばしたいと思っていたころにパート募集を知った。「知人が働いていて”子どもがいても働きやすい環境だよ”という言葉に魅かれました」。
入社当初は商品を棚から抜き取るピッキングの仕事を担当、勤務時間も5時間ほどだった。ほどなく7時間半勤務の契約社員に。仕事内容も、在庫や商品棚の管理へと変わった。「新譜入荷日の水曜を中心にほぼ毎日入ってくる商品を、いかに整理できるかが大切」と、日々変わる状況に柔軟に対応しながら業務に励む。
息抜きは休日のパン作り。「家族はもちろん、職場にも食べてもらいたい人がいる。いろいろな場面で助けられています」と充実した様子をみせる。
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本厚木駅から会社の送迎バスで通勤する麻生さん。「事務職の経験が多く、体を動かしたかった」というのが志望の動機。5時間勤務のパートスタッフとして採用された。
最近、個別案件から大口案件の担当に変わったものの、いずれもミスは許されないピッキング。「慣れないころは緊張の連続だったけど、人生の先輩も多いこの職場は、勉強になることがたくさんあります」と、明るい笑顔が印象的だ。
2人とも、「融通がきくシフトが本当にありがたい」と口をそろえる。勤務時間や日数のパターンが豊富で、自分らしい働き方が叶うため、20年以上勤務するベテランスタッフが多い日本レコードセンター株式会社。新春から、あらたな仲間の採用が始まる。
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