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三浦版 公開:2013年7月5日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第42回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2013年7月5日

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走湯神社拝殿横の障壁板
走湯神社拝殿横の障壁板

 円福寺は三浦七福神巡りのうち「金光恵比寿(えびす)さま」を祀る寺でもあります。参道に石造りの七福神像が見られます。「恵比寿さま」は7人の神のうち唯一、日本の神さまなのです。

 参拝をすませ、円福寺の山門に別れを告げ、右へと向かい、すぐに左へと曲がりますと、両側は畑が広がっています。一部は瑞境期(はざかいき)なのか、何も見られませんが、南瓜(かぼちゃ)畑が目を引きます。ふと、前方を眺めますと、緑の木々に覆われた小さな森の一帯が見えます。中頃に尖った屋根の一部も望めます。西瓜畑や茄子づくりのハウスを過ぎて交差する道へ出ると、「走湯神社」前に至ります。金田の鎮守です。鳥居の右側に6基の庚申塔があります。古いものでは寛政5年(1793)、同じく12年(1800)の塔もあります。この庚申塔の後ろにあたる境内に、台座も含めて、高さ2・7メートルもある「記念碑」が建っています。碑面の上に横書きで「奉納」、下に縦に「金壱百七拾萬圓」、横に「飯田家小谷喜美先生」とあり、裏側に「昭和三十二年四月吉日建之、総氏子、藤平蓬洲書、長谷川三次刻」と刻まれた文字が読みとれます。円福寺にも寄金の碑がありましたが、小谷さんは神社周囲の石積み等の補修にも力を貸しているとのことです。

 かつて、指定村社であった「走湯神社」の祭神は「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)」と言われています。正しくは御名の上に「正哉(まさや)吾勝勝速日(あがかつかつはやひ)が付くとのことで、神話で、須佐之男命が姉神である天照大神と対した折り、御子生を約し、大神が女神をお生みになったのに比して、命(みこと)は大神の御髪にまいていた匂玉を咀(か)みくだいて吹く霧の中からお生まれになった男神で、命は「吾レが勝ツタ」と仰せられて「正哉吾勝勝日天忍穂耳尊」と名付けられたという。当社は平安時代の寛治元年(1087)11月伊豆国加茂郡走湯神社を奉遷したと伝えているが、沿革は不詳です。社殿は権現造りで、本殿に至る両脇に朱に塗られた「龍」の板面が珍しい。また境内社として、祭神須佐之男命を祀る「八坂神社」は寛文12年(1672)6月の創祀と伝えられています。(以上は『三浦郡神社由緒記』昭和10年発行による)境内に四株あった大きな「公孫樹」も上の方が整えられてさっぱりしています。

 神社を出て、道を海岸へと向かい、旧道と思われる道を左折し、しばらく行きますと、川の手前、右側に寺院があります。臨済宗建長派の「金田山清伝寺」です。開山は建武(けんむ)年間(1334〜5)で、桃源宗悟禅師の建立とされ、御本尊は聖観世音菩薩です。ここは「三浦観音第八番」でもあります。御詠歌は「高山に登りて浦を眺むれば浦のみぎわに立つは白波」です。

つづく
 

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