終戦70年を迎える今年、小田原に残る戦争の記憶を、人・もの・場所を介してシリーズで綴る。第41 回は、小田原空襲で台宿町(現在の小田原年金事務所あたり)の自宅が爆撃された豊島シズ枝さん。
戦後、肺浸潤(はいしんじゅん)を患って運動を避けるようになり、国体にも出場した卓球をあきらめて志した絵の道。数々の展覧会で受賞歴をもち、卒寿を過ぎた今なお現役の画家として絵筆を握る豊島さんの作品は鮮やかな色彩が特徴的だが、かつては暗い色調のものばかりだった。背景にあるのは、戦争の辛く悲しい記憶だ――。
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戦争の真っ只中に父が事故死。大黒柱を失った家庭を支えるべく母と懸命に働き、数少ない配給は幼い妹や弟に食べさせた。着物をサツマイモと物々交換しようと三島の農家を訪ねることもあったが、憲兵に見つかれば没収。腹を空かせて待つ妹たちのもとに、手ぶらで帰らざるをえなかった。
冬は暖をとるための炭を譲ってもらうために、箱根湯本の親戚の家に出かけた。「帰りは憲兵に見つからないよう電車に乗らず、山道を5時間歩いた。没収されたら寒くてたまらないから」。だが、自分を犠牲にして家族のため一途に生きる若き女性にも、戦争は容赦なかった。
1945年8月15日未明。太平洋戦争で国内最後とされる小田原への爆撃は、豊島さんの家にも被害をもたらした。「小田原は攻撃されないと思っていたら、屋根がバリバリッと大きく鳴った」。自宅や周辺の家々に焼夷弾が命中し、豊島さんは夢中で消火にあたったが、次々に上がる火の手になす術はなかった。「練炭も燃えてしまった。冬はどうしよう」。焼け跡にたたずみ頭に浮かぶのは、家族の暮らしへの不安ばかりだった。
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「絵画には作者の心情が自然とにじみでる」。悲しい表情を浮かべた人を寒色で描くかつての作風も、時の経過とともに変化。倉庫に眠る昔の作品は、明るい色彩に上書きされつつある。「戦争の思い出はもう消しても良いかな。今は前に向かって進みたい気持ち」
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