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市制施行75年 2015年元旦企画 「節目」見続けた小田原城

公開:2015年1月1日

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小田原城は年間40万人以上が来城する小田原最大の観光スポット
小田原城は年間40万人以上が来城する小田原最大の観光スポット

 小田原市のシンボル・小田原城は2015年、様々な節目を迎える。戦国時代の幕を開けた北条早雲が、大森氏から奪って以来、形を変えながらも常に小田原の歴史を見続けてきた小田原城。再建から55年目の今年は耐震工事のため、しばし休館となる。そこで本紙では元旦企画として、小田原城にまつわる節目の出来事を取り上げる。また市内の企業・団体にもそれぞれの「節目」を取材、合わせて紹介する。

 北条早雲が小田原城を攻略したとされるのが、520年前の1495(明応4)年(※通説のため1496〜1501年の間との見方もある)。

 北条氏は430年前の1585(天正13)年には、下野(今の栃木県)、常陸(今の茨城県)まで勢力を拡大し、関東一円を収めた。

 天下統一を狙う豊臣秀吉に攻め滅ぼされたのが1590(天正18)年。秀吉が北条攻略のために建てた石垣山一夜城の築城と合わせて2015年は、ちょうど425年目にあたる。

廃城、解体関東大震災

 江戸時代、小田原城は何度も大地震や富士山の噴火などの災害に見舞われ、その度、修繕を余儀なくされる。 本丸・二の丸・三の丸など石垣や櫓を構築した現在のような小田原城が完成したのは、340年前の1675(延宝3)年頃。ちなみに現在の天守閣は、1706(宝永3)年に建替えられた設計図を参考に建てられている。

 明治維新を迎え、小田原藩の知事に任命された大久保忠良は、1870(明治3)年、藩の財政が城郭の補修に耐えられないことを理由に廃城願いを提出する。小田原城は民間に払い下げられ、この年のうちに解体された。わずか145年前のことだ。

 城内には一時、小田原県庁、足柄県庁が置かれ、その後、宮内省により御用邸が設けられたが、1923(大正12)年の関東大震災で御用邸は倒壊。石垣や台場もことごとく崩壊した。

市民運動実り天守閣が復活

 昭和に入り、小学校や公園として利用されていた城址に「もう一度天守閣を」との機運が高まったのが、1950(昭和25)年。市制施行10周年を記念した「こども文化博覧会」が城址で開催されたことだった。その後、天守閣再建のために、市民が瓦一枚寄付運動に参加。10年後の1960(昭和35)年、廃城から90年の時を経て、ついに小田原城天守閣は再建された。

 以来、天守閣の入場者数は2475万人を超える。再建から55年目の今年、天守閣は耐震工事のため7月から休館となるが、その前に2500万人来城の節目を迎えることとなる。小田原城はしばしの休息をとり、新たな歴史を刻む準備を整える。
 

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