終戦70年を迎える今年、小田原に残る戦争の記憶を人・もの・場所を介してシリーズで綴る。第12回は当時のメモと記憶を手がかりに、得意の水彩画と文章で後世に戦争を伝えようと小冊子を作成する譲原良二さん(81)。
戦争が激化するに連れ、酒匂国民学校(現・酒匂小学校)の校庭は畑へと様変わりし、体育の授業も男子が木剣、女子はなぎなたの訓練の場となっていた。食糧難の時代。毎日腹を空かせながらの畑仕事、肥料となる児童の糞尿集め、草刈り、麦踏みなどの重労働をしていると誰からともなく歌い出す戦時歌謡が時折校庭に響いていた。だが、収穫したジャガイモやサツマイモは決して自分達の口に入ることはなかった。「勉強よりも戦争と奉仕活動が優先。生活用品、食糧も不足し、常に我慢し、必死で生き抜く日々だった」
そんなある日、「天皇陛下がいなければこんな戦争は終わるんだ」という友人のメモが担任に見つかった。「教室内の机と椅子を後ろに寄せろ」と担任に命令され、皆の前にその児童がつまみ出された。「力任せに殴られ、蹴られる友人をただ見ているだけで、誰も止めることができなかった。あの光景は忘れられない」と苦い思い出を口にした。
1945年7月頃は毎日のように警戒・空襲警報を聞きながらの生活。「怖い」に慣れてきていた。
その日もいつも通り学校に登校すると空襲警報がなり、すぐに自宅へと返された。防空壕の入り口で待つ母に促され、急いで中に入った瞬間だった。飛行機の爆音とともに、これまでとは全く違う大きな爆発音に襲われた。父親がつくった自宅下の防空壕の壁は大きく揺れ、天井から大量の砂が落ちてきた。空襲警報が解除となり、外に出ると屋根に小さな穴が空いている箇所を発見。約5cmの爆弾の破片が突き刺さっていた。その破片で多くの人が負傷し、近所の友人も命を落とした。
小冊子を通じて、「戦争は二度と起こしてはいけない」と後世に訴え続ける。
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