県立第二中学校(現小田原高校)を卒業し、県立小田原中学校で教壇に立った澁谷壽光さん(1894-1983)が、出身地の松田町から名誉町民の称号を贈られた。
澁谷さんは、同校在職中に徒歩部(現陸上競技部)の顧問として、多くの長距離ランナーを育てた。東京高等師範学校(現筑波大学)の先輩である金栗四三氏と親交が深く、箱根駅伝の企画も担当。自ら測量を行って中継地点を決めるなど、大会の実現に尽力し、30年間にわたり審判長を務めた。日本の陸上競技の発展に寄与し、1964年の東京五輪では審判団団長、競技役員の最高責任者を務め、大会の成功に貢献した。また、審判員育成のため全国各地をめぐって審判の講習も行った。
地元松田町へは1981年、「子どもは、健康が第一である。健康さえあれば、何事もやりとげることができる」との言葉を添えて50万円寄付。小学校はそれを基金として『澁谷賞』を設立し、持久走大会での子どもたちへのメダルや賞状、記録賞を授与した。
本紙でも2019年に小田原高等学校同窓会 樫友会 資料委員会の協力で「郷土のいだてん」と題した連載を行い、澁谷さんを紹介した。
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