連載 かねさわ地名抄 第13回「侍従川」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
私達の金沢には、区内に源流を持ち、そのまま区内を流れ外海に注いでいる川が2つあります。
今回紹介する「侍従(じじゅう)川」はその一つです。侍従川の源流は朝比奈峠の熊野神社付近と言われています。この川の名前の由来は、六浦と「照手姫(てるてひめ)」とに大いに関係があります。
室町時代、常陸国小栗城主の満重は、智勇兼備の武将「小栗判官」の名で世に知られていました。1423(応永30)年、満重が謀反を企てていると、同士に讒言(ざんげん)(うその告げ口)をされ、鎌倉公方・足利持氏の大軍に攻め落とされます。
照手姫物語は、満重が10人の家来と共に親戚のいる三河の国に落ちのびることから始まります。一行は途中、藤沢の泥棒の館に泊まることになり、たまたまこの家で働いていた照手姫に出会い、結婚の約束をします。ところが満重と家来は毒酒で殺されてしまい、怖くなった照手姫は館を脱出。六浦の地まで逃れて来ましたが追手に捕まり、油堤(旧千光寺の裏あたりと言われています)から川に投げ込まれてしまいました。しかしその時、千光寺の観音様が現れて照手姫をお救いになりました。
そんな事情を露とも知らない照手姫の乳母「侍従」が追いかけてきて、姫が川に投げられた事を知らされます。悲嘆にくれた侍従は、後を追うように川に飛び込み死んでしまいました。その時から、この川は誰言うとなく「侍従川」と呼ばれるようになりました。
その後照手姫は、閻魔大王によって現世に返された満重と再会し、夫婦となったといいます。
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