都筑区版 掲載号:2018年5月31日号
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大正末期〜昭和の北山田から 第14回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)

手押しポンプの消防団
手押しポンプの消防団

消防団の歩み

 消防団の前身は、全戸主消防であり、部落全員、消防組に属していた。

 ハンテン、モモヒキ、ドンブリと言われた腹掛け、活動的ないで立ちであった。

 戦争に突入した頃から、警防団に改名され、鉄兜に階級章つきで、黒襟若葉色の洋服になり、黒のバンド、ゲートル、黒の戦闘帽に統一され、訓練行動も軍隊化してきた。ほとんど戦地におもむき、残った五十代の人が団員になっていた。

 若い連中は本土決戦に備え、青年学校在籍のまま召集され、人員不足が極端であった。

 戦後消防団に改名され、警察から消防署が独立した。

 洋服はスフの服のため、洗濯するとだらしなくなってしまい、困った。

 当時の消防団は火災消火が絶対的使命であり、火災出動の到着順位と一番放水が各団の誇りと、争っていた。

 手押しポンプを修理するのが、新米団員の仕事であり、可搬式ポンプになっても、出動回数が多いため、ポンプ、車の維持管理が大変だった。

 特にホースの補充には苦労した。

 最初の消防車は三十七年頃、日吉消防団から消防三輪車を当時の大島町会長が譲り受けたもので、中川で初めて消防積載車が誕生した。当時は、バッテリーの容量が悪く、管理に団員は大変だった。

 鉄塔も日吉から譲り受けて安藤鳶と団員の奉仕で建てた。

 元の鉄塔は終戦間際、鉄不足のため、大砲軍艦を造るのに強制鉄回収され献納されたが、倒して裁断したところで終戦になってしまった。

 その後、臨時に大島町会長の山から、また、数年して織茂鉄五郎さんの山から杉の柱二本を寄付していただき、火の見やぐらを築いた。

 鉄塔のペンキの塗り替えは大変だった。役員は上の方を塗り、一般団員は下から塗るようになっていたため、下の方を作業している者はペンキだらけになってしまった。

 屋根の上に上がって塗ってくれた団員には感謝している。ずいぶん度胸と勇気ある人と思う。

 火災だけでなく、警察の要請で泥棒や脱走兵の捜索などがあった。

 泥棒を追い詰めたが、警察が現場に間に合わず、取り巻き逮捕したこともあった。行方不明の捜索発見など、有線放送のスピーカーによる情報伝達は野外にいても正確につかめた。
 

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