大正末期〜昭和の北山田から 第28回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
小学校
やっと小学校に入学しましたが、学校も軍事色が強くなり、先輩後輩の差が厳しく、特に高等科の週番は下級生には恐れられる存在だった。週番は赤白の縦縞のたすきをかけ、校内ににらみをきかせていた。掃除当番の時は週番の検査を受け、パスしなければ何回でもやりなおしさせられた。
先生も週番には一目おいていた。だが低学年(一・二年生)には親切だった。朝の自習時間には手を取って教えてくれた。なにかにつけ面倒みがよかった。朝の朝礼には全校整列し、週番の指揮で奉安殿を遥拝、ラッパ手(高等二年)の吹奏により、国旗掲揚がかかさず行われた。
三年頃より校庭も青年学校の教練の日課が増え、軍事訓練に使われる日が多くなった。軍隊出の小学校の先生も多くなり、青年学校の教練指導員を兼任することが度重なり、その都度、小学校は自習が増えてきた。学校の窓から見える先生の軍服姿を誇らしく思った時代だった。
学校の帰りに、友達とお寺の屋根にスズメの巣を取ろうと、梯子を寺から無断借用して本堂の屋根に登った。登り終えたら住職に見つかり、梯子を取られて下りるに下りられず、さんざん叱られ、屋根の上から泣きながらあやまった。やっと梯子をかけてもらい、地上に下りたとたんに鞄を背負い駆け出し、住職に悪口暴言を言うなんとも悪い子供でした。
忘れ物をすると、必ず家まで取りに行かされた。往復6キロ、駆け足でも授業は終わってしまいます。手拭いを忘れても家までの往復です。(つづく)
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