大正末期〜昭和の北山田から 第43回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
降伏のビラ
十九年頃から、盛んに米軍機によりビラがまかれたが、それをひろうのに最初は抵抗があった。
デマだ、悪質な宣伝だ、ひろうな、読むなと言われたが、あまりの量にひろわざるを得ない。
ビラには日本兵の痩せ細った裸の写真があり、文句は、「貴方のおとうさん、兄弟、旦那さんは、食料もなく武器もなく本土からの救援もなく、飢え死にを待つばかりだ。早く戦争を終わらなければ最愛の人は死んでしまう」、というものだった。
終戦後、私がニュータウンのために仮移転するまで、戦時中の神風攻撃隊の新聞の切り抜きと一緒にビラも保管してあったが、引っ越しの時、行方不明になってしまった。
あのビラは真実であった。
当時でも、大都市はほとんど焼かれ、物資はなく、制空権は完全に米軍に握られ、人手不足で食糧生産も落ち込み、どう意気込んでいても誰も口にはださぬが、勝つとは思えなかった。
いらだちと不安が交差し、まかれるビラを無視しようとするが、これが真実かもしれないと、読んだ。
戦後ビラ以上に南方最前線は酷かったと聞く。
物資の不足
四方海に囲まれている日本が、海上輸送が断たれては裸同然、食糧資材が無くなるのはあたりまえ、特にマッチは極端に不足して、煙草を吸う人はバケツに灰を入れ、火種を灰で隠し火が絶えぬよう野良作業に持ち歩く人もあった。
煙草とて配給が少なく、松葉の乾燥した物とか、藻草を乾燥したのを紙で包装して煙草を作り、吸っていた。硫黄が不足し、ある部隊では農家を尋ね、貴重なマッチを集め硫黄を取り爆薬を造る作業までしていたと聞く。今では笑い話だが、その当時は真剣だった。 (つづく)
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