大正末期〜昭和の北山田から 第52回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
農業に暗雲【2】
四十四年、日本住宅公団(現住宅・都市整備公団)に対し、土地の四割買収に応じました。
北山田の農民は実直すぎて、財産の四割買収には未だ足りないと言われ、分筆しても四割買収に応じてしまった。強制ではないので協力した者が犠牲になってしまった。
農家が土地を手放すことは考えられないことでしたが、このことを境に故郷の消滅が決定した。
公団は「まじめに協力してくれた正直者には、馬鹿をみさせない」と言われたが、現実は何もなかった。自分の財産の処理だから、他人に合わせることはないのだが、連帯感が強い部落ゆえに、行動を共にした。このことは、噂は消えるが永遠に地権利者の魂の中に生きていくだろう。
誰も非難することはない。自業自得の結果であり、街作りに協力した誇りだけは協力者のみの特権と思い、時効の中に消える。
ニュータウン
町全域が造成地区に入っている北山田の土地四割買収から、生活は一変した。農業継続は絶望的になってしまった。土地不動産屋がお土産持参で農家を訪れ、宇都宮、富士の裾野、伊豆方面と県外に土地の取得を勧めていった。
公団は、農家の移転は民間造成のように極力避けて計画すると言われたが、事業計画が公表されてみると、四角四面に線を引き、ほとんどの農家は移転になってしまった。
果たして何百年住みなれた農家が、墓地を発掘し、母屋を壊して移転してくれるか、信じられなかった。特にお年を召した方が、先祖の遺産を大事にしておられるので、心配でした。
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