大正末期から昭和の北山田から 第7回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
雨降り正月
雨は天の恵みと言われていたが、農家ほど天候に左右される職業はない。
長雨が続けば作物の成育は悪くなるし、収穫物の品質は落ちるし、腐りもする。
干ばつが続けば、田圃は困る。
だが”照りに飢饉なし”とか昔から言われております。適度のお湿りがあれば農家は幸いなのですが、思ったようにはいきません。
七月頃、田圃に一番水が必要な時、干天(かんてん)続きになりますと大変です。田の草は取れず、分(ぶん)けつ(株分かれ)が進まず、穂出し水不足で収穫に影響します。
畑は栗以外、成長が止まってしまいます。
雨が待たれる時に雨が降りますと、部落長から雨降り正月のおふれが出て、全員仕事を休むことになっておりました。この頃は農繁期の真っ最中で、身体も疲れているので、骨休みと言われていました。これも、昔の人の生活の知恵ではないでしょうか。よく守られており、若い者には喜ばれておりました。
山田富士の草刈り
毎年七月一日午前五時に、町内全員で山田富士の草刈りが行われておりましたが、平成二年から中止しております。以前は山田富士全域を町内で維持管理しておりました。その後、住宅・都市整備公団の管理になり、公園として整備され、市に移管されました。
伝統行事として伝承されてきた行事が、また一つ消えてしまいました。(鎌研ぎて 世間話の 仲間いり)
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