大正末期〜昭和の北山田から 第57回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
区画整理審議会委員選挙【2】
事務所には毎日二十名くらいの運動員が詰めかけていたので、近所のご婦人方は大変だった。毎日交替で炊き出ししていただいた。親戚も見てはおれず手伝いに奔走したが、地権利者の親戚は監視の目が厳しく、身動きできない状態であった。
選挙当日は、荏田の投票所まで動けない老人は背負って車で送迎、公団事務所の回りは長蛇の列ができ、その周辺を候補者がたすきをかけて反目する候補者に投票するな、我々のグループの候補者に投票せよと、がなり立てていた。
区画整理でこんな馬鹿げた騒ぎは、なかったであろうと思う。
委員の立場が誤解されていた。委員は区画整理がスムーズに運営されるよう協力し、平等で公平にことが運ぶよう努力するのが責務と思うが、土地を提供した農家と対立する場面が当初は多く、審議中の議案が外部に流れて、委員と組織が混同されている場面が一部にあった。
コンピューターの数字処理に疑心暗鬼ではことは運ばない。お互い信頼がかけたら、吾一人しか信ずる者はいなくなり、他人は卑下したくなるのではないか。
農家は個々の営業であり、集団での組織の経験が浅く、討論は不得手である。一方、組織の経験のある人は討論は得意であり、理詰めで、よく勉強しているが、立場の混同が多少あったように思う。
開票の夜、支持者の若い連中が、開票所からその当時では珍しい無線で、開票結果を事務所まで報告、当選の報に大変な騒ぎになってしまった。
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