連載 かねさわ地名抄 第20回「野島町」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
現在の通称「野島」は四方が水面に囲まれた紛れもない島であり、島の南部に「野島町」、北部に「乙舳(おっとも)町」の二つの町があります。太古の昔は岬の先端でしたが、縄文時代の海進によって島となり、縄文後期には砂洲と繋がって半島状になりました。
江戸時代の金沢八景模写図などで野島周辺の景観がしのばれますが、歌川広重の『野島の夕照』では夕日に映える平潟湾湾口部の原風景が描かれています。この原風景は、大正初期に着工された横須賀海軍航空隊追浜飛行場の出現によって「金沢八景」もろとも消滅すると同時に平潟湾は完全に塞がれました。代替として戦争末期に開削されたのが「野島運河」であり、後に「野島水路」も整備されて現在の「野島」が出現し、島外とは夕照橋など三つの橋で連絡しています。
野島の地名は鎌倉時代の古文書に「野嶋之磯海苔」と見え、江戸時代の初期は洲崎村の小字(こあざ)で、野島浦と称し浜名主を定めて村の扱いを受けていました。新編武蔵風土記稿では「野島村」とも称し、幕末から明治初期までは「野島浦」が用いられ、以後「金沢野島町」の時代を経て、1975(昭和50)年から「野島町」となりました。
島には海抜57mの野島山を主とした公園の他、貝塚、村の総鎮守・稲荷神社、さらに戦時中に野島山の山裾に造られた戦闘機の格納庫など、歴史を感じるスポットがあります。
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