連載第六回 宮前歴史探訪記 向丘の交通【6】 昭和30年台前半のバス
昭和30年代前半までの菅生地区は丘陵が東西に走り、丘陵と丘陵の低地を流れる平瀬川沿いには田圃が開け、丘陵地には雑木林、竹林、畑などが散在する農村地帯だった。その低地を野川柿生線の道路が通り、溝口から蔵敷、稗原、柿生方面に向けて市営バスが走っていた。道路は砂利道でバス一台が通れる程の道幅。すれ違う時には、どちらかの車が広い場所で待ってすれ違っていた。バスはエンジンが前にあるボンネットバス、そのハンドルは大きく重たそうだった。運転手は体全体を使ってハンドルを捌いているようだった。
車内には腰にカバンをぶら下げた車掌がいて、行き先を告げると切符を切って渡してくれた。更に「次、右に曲がります。ご注意ください」とか、「次は初山でございます。お降りの方ございませんか」などと案内もし、次の停留所で降りる人がいる時は「次、願います」、降りる人がいない時は「次オーライ」などと運転手に知らせていた。客の乗り降りは、車掌が安全を確認しながら乗降扉の開閉を手動で行っていた。当時のバスは、運転手と車掌の意気の合ったコンビで運行されていた。更に車掌と客が世間話をすることもあり、長閑な車中風景も垣間見れた。
しかしバスに乗って出掛ける事ができるのは大人が中心で、高校生は溝口まで自転車で通学するのが常だった。ましてや小中学生は歩いて通学するのが当然であった。/宮前の歴史を学ぶ会・杉田墾生
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