川崎大師平間寺(藤田隆乗貫首)と川崎大師観光協会(斎藤文夫会長)がこのほど、2年前に撤去されていた地名案内板「夜光町の由来」を建て替えた。平間寺の発祥と関わりの深い「夜光」の地名の由来を、後世に伝えていくことが目的。設置場所は旧案内板と同じくJX日鉱日石エネルギー(株)川崎製造所敷地内。歩道に面しており、歩行者も見学できる。9月2日には同所で除幕式を行った。
「夜光」の町名は、川崎大師平間寺発祥の伝説と深く結びついている。
平安時代、漁師として川崎に暮らしていた同寺の祖・平間兼乗は、夢の中で高僧の声を聞き、らんらんと光る夜の海から高僧の彫った弘法大師像を引き上げたという。兼乗は像を「厄除弘法大師」として祀り、平間寺を建立。像の上がった海の周辺は「夜光島」として呼び伝えられ、現在の町名につながっている。
伝説を後世に伝えようと1981年(昭和56年)、川崎市観光協会と夜光町町内会(現在は解散)、日本石油化学(現・JX日鉱日石エネルギー)が案内板を設置。案内板の隣に立てた木製の碑が腐食により傾いていたため、2012年に案内板とともに撤去したが、大開帳奉修の年でもある今年に合わせ、平間寺と川崎大師観光協会が再建した。新案内板は、建て替え前とほぼ変わらず高さ約3m、幅約2・6m。碑は腐食しないよう、根元をコンクリートで固めた。設置場所は国道132号線に面した歩道沿い。
2日の除幕式には、平間寺の藤田貫首や、川崎大師観光協会の斎藤会長、JX日鉱日石エネルギー(株)川崎製造所の佐倉匡所長らが出席。藤田貫首による祈願などが行われた。斎藤会長は「大師発祥に関わる『夜光』の伝説は、川崎の歴史の大きな一コマ。これを後世に伝えていくことは、今を生きる者の責任」と案内板復活の意義を語った。
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