厚木市には後世に残したい郷土芸能や歴史がある。その1つが、写真も含めて資料がほとんど現存していない相模川から土砂を運んだトロッコ「鍋トロ」だ。「このまま鍋トロを風化させてはいけない」と活動している田中眞智子さん(72歳・松枝在住)に話を伺った。
トロッコとは、土木工事用の小型無蓋貨車。土砂や木材などを積み、レール上を走って運搬する。
昭和初期から戦後にかけて、相模川で良質な砂利が取れたことから、厚木市や座間市ではトロッコの架台に鍋を載せた「鍋トロ」が活躍していた。厚木市郷土資料館によると、鍋トロに関する文献は残っておらず、具体的な運行期間や会社が分からないという。
手掛かりは”記憶”
田中さんが調査を始めたきっかけは、2009年に同資料館が主催したイベント「石造物に親しむ会」に参加したこと。鍋トロの引き込み礎石があったと話題が出ると、記憶の底に沈んでいた懐かしい光景がよみがえった。「1948年頃、小高い土手をガタゴトと線路を軋ませながら、日に何回か通っていたことを思い出した。詳しく知りたいと思った」と振り返る。
当時の様子を知るため、辿り着いたのが1938年に出版された和田傳氏の著書『五風十雨』。「春の相模川」の一節の中に「鍋トロ」の文字が登場した。また1940年から50年の旧厚木町住宅地図に線路が記載されていた。
しかし、肝心のルートがはっきりしない。そのためレールがあったと推測される相模川土手付近から、聞き込みを開始した。すると厚木公園(はとぽっぽ公園)付近に転轍機があったこと、大雨のときに線路を撤去したこと、元町交差点付近で赤い旗を持った人が安全通過を見守っていたことなどが分かった。「急にお邪魔しても、皆さん快く話してくださった。本当にありがたい」と田中さんは話す。さらに元町桜土手南側で礎石を発見した。
30人以上の”語り部たち”の協力で、幻となりつつあった鍋トロの経路が見えてきた。小鮎川から寿町、中町を経由して本厚木駅(旧神奈川中央交通敷地南側)へ続く道と、旭町の川原からふじみ公園を経由して駅南口へと向かうルートだ。
「残すことが大切」
2010年には小冊子『厚木の鍋トロ 懐かしい鍋トロの思い出』、12年に『厚木の鍋トロ 語り部による「桐辺の堤の鍋トロ」』をまとめた。専門的な知識はなく、「知りたい」という好奇心ではじめたおよそ3年間の調査。田中さんは「多くの方の協力と、歴史を残しておくことの大切さを実感したからこそ続けられた」と目を細める。「まだ分からないことも多い。当時を知る方がいらっしゃれば、これからもお話しを聞きたい」
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