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一粒の麦にも萌え出る力―。未来を120年の学校づくりに観る 学校法人 新名学園 旭丘高等学校
小田原の地に1902(明治35)年創設された学校法人新名学園 旭丘高等学校は今年創立120周年を迎えます。地域とともに「人間教育」創造を志向する学園について水野浩理事長・学校長に、創立者の建学の精神や、改めて考える"今日の学校の在り方"、将来展望について聞きました。
小田原の地に若き芽を育て120年
――新名学園にとって大きな節目の今年。改めて学園創設の原点や歩み、歴史をお聞かせください
明治政府は1889(明治22)年帝国憲法を発布。この時期には、資本主義の発達と教育の普及が全国・全県の地域レベルで図られました。新名学園は大垣藩士の娘、水野百刀(もと)が夫の福井藩士で医師、新名友作の転地療養先、小田原での死去により二児を養育する傍ら、1902年に創立した「裁縫・造花・編物伝習所」が出発点です(当時の小田原町の人口1万8767人)。これは、女性が裁縫や手芸の技術を習得することで眼を家庭・社会に開き、経済的・精神的自立を目指すもので、地域社会の教育への期待を体したものでした。
今日の神奈川県私立82校のうち10番目に創設されたもので、4万人近い卒業生を送り出しています。先生の命日(9月16日)に合わせ毎年9月第2月曜を新名百刀先生を偲ぶ「建学の精神を想う日」、誕生日である10月1日を学園創立記念日としています。
――草創期には二宮尊徳の教えも校訓に
新名先生は学園の精神的柱として報徳四訓「至誠・勤労・分度・推譲」を校訓とし、学校づくりを進めました。現在も報徳四訓は"入るを図り、出ずるを制す"という分度、"分度が作った余剰を社会公共に役立てる"という推譲の考えに基づく建学の精神の今日的意味を駆した実践として教育活動に位置づけられています。
――120年の歴史に学ぶ今日的課題とは
第二次世界大戦後の1947(昭和22)年、日本国憲法が施行され、教育基本法・学校教育法・私立学校法が制定され、新名学園は1956(昭和31)年に学校法人化されました。2002(平成14)年の学園創立100周年は城内キャンパス(第一校地)と久野・荻窪キャンパス(第二校地)の二つの校地に学びの場を広げました。創立110周年時には、学校像として小田原の「まち」を教室とし青年期発達教育を新しい「教育目標」に位置づけ、国際化・情報化に対応し、国際クラスの新設、中国の西安と安陽、モンゴルのウランバートルの3地域に姉妹校提携を行い、中国2校と6次の交流活動を実施し、連携教育協定を結びました。さらに現在国際クラスの短期研修先として、ニュージーランド(ウェリントン市)のハイスクールとの交流活動の準備作業が続けられています。学園は現在、全日制・普通科と総合学科を併置する単位制高校に発展しています。
――どのようなミッション(使命)のもと、創立120周年の柱をどのように据えますか
ミッション(使命)の具現化の基は「建学の精神の今日的意味」を訪ねる教職員集団・生徒会・六者懇・地域の一つ一つの実践の積み重ねにあります。
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