古文書から見る金沢 第2回 文/飯塚玲子
大道ふれあいむかし資料館の相川光正家文書に、今から二百年ぐらい昔の寺分村、社家分村、平分村の年貢割付状が残されている。
年貢割付状とは、その年の村の年貢高を書付、村に通達した文書で、その裏にこれらの村の領主であった米倉丹後守の家臣が、年貢を確かに受け取った旨を書き署名、印が押されている。
この三つの村は、昔は一つの村で六浦郷、六浦庄あるいは六浦と呼ばれていたが、いつの頃からか分れ、江戸時代には三村に分かれていた。寺分村とは、現在、宝樹院(大道)のある場所に平安時代創建の常福寺という寺があり、大道がその領地だったので寺分村と呼ばれた。社家分村とは、瀬戸と瀬ケ崎の事で昔瀬戸神社の領地だった。平分村とは、寺、神社の領地ではない、三艘、川、室の木の事で、六浦はこの三ケ村が入り合っていた。年貢割付状からはこの時代のこの地域の様子がわかる。
寺分村は良い田が多くお米がたくさん取れた。塩も作っていて、阿弥陀免として常福寺に寄附する塩が六斗あり、山の年貢も払っていた。平分村は、五大力船という江戸等に荷物を運んだ海川両用の船を五艘持ち、侍従川沿いや、海に面した室の木に商人がいた。魚を取るための船も一艘あ
り、漁業の年貢も払っていた。また塩場という名が残るように塩がよく取れた。 社家分村は五大力船を一艘持っていて、米倉丹後守の陣屋が享保七年に移って来たので、その土地の分、年貢が差し引かれている。災害があった事もわかる。「申山崩引」と書いてあり申年に山崩れがあり、その分年貢が少なくなっている。
■大道ふれあいむかし資料館(大道小学校内)▽一般開放日時=7月26日(土)、8月10日(土)の午前10時から正午
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