連載 かねさわ地名抄 第35回「町屋」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
街の中心地には町屋神社があります=写真。鳥居から社殿へ通じる参詣道が旧国道から続いていますが、その脇を広い道路が区役所、消防署、郵便局、警察署など街の中心地へと続いています。
神社境内が隅の方へ押しやられたようにいびつな狭い地形となっているのに、初めて参詣したときは驚いたことがあります。鎮守様が街の開発でこんなことになってよいものかと案じたものです。
神社の祭神は須佐之男命、別名、牛頭天王(ごずてんのう)。創建は1615(元和元)年頃、神輿の上に鳳凰が取りつけられていますが、運慶作と伝えられています。
町屋は保土ヶ谷から通じる金沢道の終端地、この古道には道中十二村と4里2丁(約16Km)の人馬継道法があり、町屋村で洲崎、寺前の3村入会の町屋原が南東海辺にありました。
町屋は室町時代の1438(永享10)年、永享の乱の金澤合戦の戦場になったとの記録もあります。江戸時代、保土ヶ谷への金沢道、鎌倉道、横須賀への野島道が集まる交通の要所で代官所、お旅所、駅も置かれ、にぎわっていたそうです。古くは久良岐郡町屋村でしたが、1935(昭和11)年10月に横浜市に編入され町屋町となりました。
近年になって、泥亀バイパスができて行政中枢が西寄りに置かれたため、中枢から外れましたが、それまでは行政、商業の中心地でした。
近くの福舟山安立寺には、日蓮上人が下総国から鎌倉へ向かう途中に船中問答をして立ち寄りしたという「船中問答略縁記」が残され、山門脇に船中問答碑が建てられています。
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