物語でめぐる金沢 「母と直木三十五」(『生きかた下手 自伝小説集』、団鬼六、文藝春秋)文・協力/金沢図書館
官能小説家の団鬼六が横浜に家を新築して母親を呼び寄せようとした時、連れて行ってほしい所があると頼まれたのが「富岡の長昌寺」。団はピンと来ませんでしたが、ここには直木三十五の墓があります。母・香取幸枝は昔、直木の内弟子だったのです。墓参りのため長昌寺に来た幸枝は住職に歓迎され、第三回南国忌(*)での講演も依頼されました。
幸枝は、国木田独歩の長男虎雄との最初の結婚を解消後、関西に住んでいた直木の元で原稿の浄書や肩もみなどの下働きをしたそう。直木は映画製作に手を出し、弟子の幸枝も出演させられます。やがて直木は東京へ戻ることになり、後に残る幸枝には役者としての進路が示されました。その後直木は「南国太平記」を発表して大作家に、幸枝は松竹演芸部で幹部女優にまでなりました。そして劇団解散を機に脚本家の卵と駆け落ちし、生まれたのが団鬼六です。
団は南国忌の席上、胡桃沢耕史から、君もああいう母親がいるんだから何か文芸ものを書けよと薦められて、大いに閉口したようです。清水正二郎の本名で官能小説を書き、その名を捨てて直木賞作家となった胡桃沢にすれば親切のつもりだったのでしょうか。今では胡桃沢も長昌寺の直木の墓の隣で眠っています。(*)南国忌:直木三十五を偲んで毎年2月に開催される追悼忌(命日の2月24日も南国忌と呼ばれる)。
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