あおぞら保育園の園長として60周年記念式典を迎えた 中林 博志さん 三ツ沢南町在住 67歳
山仕事、保育にいかす
○…9人の母親たちが1955年、六角橋公園で共同保育を開始した。屋根はなく、雨が降れば休み。いつしか「あおぞら保育園」と呼ばれ、正式名称になった。60周年の節目を園長として迎える喜びを感じている。法人運営に携わるメンバーは、卒園児の保護者が名を連ねる。「創設者である母親たちの伝統を引き継ぎ、父母や地域との連携をさらに深めていきたい」と方針は明確だ。
○…幼い頃は三ツ沢の自然が遊び相手。「原っぱで昆虫採集するのが好きだった」。青木小から聖光学院中高へ進学。生物部だけでなく、器械体操サークルにも所属し汗を流した。「同級生に元オフコースの小田和正くんたちがいてね」と、大講堂の舞台運営に携わったエピソードを披露するなど、充実した6年間を過ごした。大学では「育林」について研究。森林を学習する演習林にこもり、測量や伐採などに明け暮れた。「自然の美しさに魅了された。苦楽をともにした大学時代の友人たちとは、今でも親交がある」と懐かしむ。
○…横浜市役所の農業職として採用された。現在40カ所以上ある「市民の森」。市の緑地保護制度として最初に指定された飯島町=栄区=の森を手掛けたことが今も記憶に残る。30歳で結婚。自身も共働きだった33年前、長男の手を引いて保育園に。「何でも親に手伝わせる所だと思ったが、保育士さんに頼まれるのは嫌じゃなかった」。役所での経験をいかし、父母の会会長として園舎建て替えや用地買収交渉にも関わった。
○…農政部長や土木事務所所長などを歴任し、2008年退職。12年に園長に就任した。趣味は山仕事。「NPO法人よこはま里山研究所」の理事としての顔を持ち、月1回は道志村を訪れる。横浜の水源林を手入れするほか、三ツ沢小では児童たちと一緒に蛍を育てている。「保育は人作り、共育ち」。その溢れる活力で、これからも園児の幸せを追及していく。