190チームが出場した第95回全国高校野球選手権神奈川大会で、2年ぶり15回目の優勝を果たした横浜高校。ベンチには瀬谷リトルシニア(以下、瀬谷シニア)OBの右腕、北山比呂(ひろ)選手(1年)=南希望が丘中出身=の姿があった。1年生でただ一人、メンバー20人に名を連ね、主にボールボーイとして役割を全うした。本大会のベンチ入りはならなかったが、貴重な経験を胸に甲子園入りする。
背番号14で神奈川大会のメンバー入りを果たした北山選手=写真右。決勝まで7試合、神奈川屈指の左腕、松井裕樹選手(3年)擁する桐光学園や横浜隼人、東海大相模など強豪校との激戦を目の当たりにした。出場機会はなかったが「ものすごく緊張した。ミーティングで話した『気持ちで負けるな』の言葉を、ベンチでずっと声に出し続けた」と充実感をにじませる。
7月30日、横浜スタジアムで行われた決勝の相手は、瀬谷シニアで北山選手の2年先輩だった熊谷拓也選手(3年)がエースで4番の平塚学園(以下、平学)。伊藤将司選手(2年)がエース対決を制し、横浜が3―0で昨秋大会の雪辱を果たした。その瞬間は「過呼吸になるくらい嬉しかった。いい経験をさせてもらった」と興奮気味に振り返る。
熊谷選手に加え、平学の背番号19・首藤(しゅどう)真夏選手(2年)も瀬谷シニアの先輩だ。試合後は2人の先輩と言葉を交わし、「甲子園でも頑張れよ。任せたぞ」と激励を受けたという。北山選手は「(熊谷選手は)神奈川ナンバーワンとも言われた右腕。これからも目標にしたい」と語気を強める。
小3の頃、瀬谷リトルリーグのジュニアで硬式野球を始めた北山選手。横浜高硬式野球部OBの父、雄二さん(44)は比呂選手が中1の時から瀬谷シニアでコーチをしている。当時から「横浜高校しか考えてなかった」という北山選手。瀬谷シニアの籾山伊佐夫(いさお)監督(61)は「持ち味はタフな肩。練習にひたむきでよく走っていた」と印象を語る。
籾山監督は4年前、瀬谷シニアの監督に就任し、平学の熊谷選手は最初の教え子の一人だったという。熊谷選手と同様、籾山監督の息子・了栄(りょうえい)さんも瀬谷シニア、平学硬式野球部OBという不思議な縁も。「(平学、横浜の)どちらも甲子園に行ってほしいと思っていた」と複雑な心境ながらも、教え子たちの活躍を喜んでいる。
夏の大会前からメンバー入りし、練習試合に登板していた北山選手を、長谷川寛之主将(3年)は「堂々と腕を振って投げてるので、いけるんじゃないか」と熱い視線を向けていた。同じように1年夏の県大会でメンバー入りし、甲子園のベンチ18人から外れた自身の経験と重ね、「悔しさはよくわかる。これまでの経験を来年につなげてほしい」とエールを送る。
兵庫県の甲子園球場で行われる本大会は、きょう8日に開幕。15年ぶりの日本一を目指す横浜は13日、香川・丸亀高との初戦に挑む。
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