連載 かねさわ地名抄 第15回「小泉(こずみ)」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
手子神社から金沢中学校西側辺りに挟まれた地域で、旧宿村内の字名でした。
瀬戸の入海が入り込んでいた当時は、河岸があり、製塩用の薪を町屋、洲崎へ船で積み出していたといわれています。古くは1614(慶長19)年頃の「名所和歌物語(三浦浄心)」に、「潚湘(しょうしょう)夜雨とはあれに見えたる一村のこずみという在所也。晴天の夜もかならず雨そそぐ」と、小泉の名前が出ています。
金沢八景の「小泉夜雨」は、江戸時代の心越(しんえつ)禅師の漢詩、京極高門の和歌に詠まれており、歌川広重の浮世絵に描かれているものは、「雨の絵の名品」といわれております。
この絵の道端に竹生島という小さな岩山があり、水の女神である弁財天を祀った祠がありました。そこには松の巨木がうっそうと茂っており、晴天の夜でも梢から雫が垂れていたといわれています。
弁才天社は1940(昭和15)年、海軍航空技術廠支廠建設のため、山の反対側にある手子神社の境内に移されました。
海軍航空技術廠支廠は1941(昭和16年)、小泉から大川、六浦にわたる100万平方メートルの地域に海軍航空兵器の実験研究施設として開設されましたが、終戦によってその使命を終えました。跡地はその後、横浜市立大学、市立金沢高校、総合車両製作所(旧東急車輛)、金沢中学校、小泉住宅となりました。
現在”小泉(こずみ)”は釜利谷東1丁目となっており、”小泉住宅”や”小泉町内会”にその名を留めております。
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