横浜大空襲の約2週間後の1945年6月10日、横浜南部に空襲があり、現在の金沢区富岡周辺も被害を受けた。だが横浜大空襲と比べ被害規模が小さかったことから、あまり語られることもなく、また記録も少ない。金沢区柴町在住の小山昭一さん(71)は約2年前から富岡空襲に関する調査を始め、このほど論文にまとめた。6月18日には、富岡総合公園内にある浜空鎮魂の碑で慰霊祭や清掃などを行う浜空会のメンバーに、小山さんの報告会が行われた。
同窓会誌の体験集め
小山さんは「横浜の空襲を記録する会」のアドバイスを得て、当時、金沢区に多くいた学徒勤労動員に着目した。学徒勤労動員とは、一般に故郷から遠く離れ「お国のため」という大義名分で、工場作業に従事した12歳〜17歳くらいの少年少女のこと。金沢区には海軍の施設や多くの軍需工場があったため、東北を中心に全国から5〜6千人が集まっていたという。
体験談や当時の日記は、各学校で作られた同窓会誌などから集めた。その数は約30校で、体験談は何百にものぼる。
報告会で小山さんは、まず富岡空襲の概要をアメリカの作戦資料などをもとに説明。33機の飛行機が襲来し計660発の爆弾が落とされたと話した。そして、主眼である生々しい空襲体験の一部や、当時の学徒勤労動員の生活状況、教師の苦悩などを解説した。
小山さんは「こうした体験は時間を経て、同窓会誌などの編纂を機会として当時を振り返り記されているため、話が食い違う箇所もいくつかあったが、その価値が失われるわけではない。他の記録と突き合わせ語り継いでいければ」と話した。
小山さんの論文「語り継ぐ富岡空襲―学徒勤労動員の体験記を事例に-」は、自身が会長を、五味文彦さん=ふるさと歴史財団理事長=が顧問を務める放送大学大学院歴史研究会が発行する「論叢」第9号に掲載。国会図書館や史学科のある大学に寄贈された。
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