1923(大正12)年9月1日、午前11時58分、相模湾沖を震源とする大地震が発生した。いまの金沢区にあたる久良岐郡金沢村と六浦荘村でも、家屋が倒壊するなどの被害があった。
洲崎町に住む山口チヨさん(99)は、この関東大震災を経験した一人。当時10歳だったチヨさんは、瀬ケ崎の先、実家のあった雷(いかづち)神社(横須賀市追浜本町)付近で被災した。
「地震のとき、神社で遊んでいた妹が怪我をして、手当をした覚えはあります。ですが、不思議と怖かった思い出はないです」とチヨさん。当時の周辺は数十戸ほどの集落で、どの家屋も倒壊を免れたという。だが、余震を恐れた家族はある策に打って出た。「2本のレールの上に戸板を敷いて、蚊帳を釣って野宿したんです」。当時は未開通の湘南電気鉄道(現・京浜急行)の線路上で明かした夜。「まだ小さかったから、家族と一緒で楽しかった」と振り返る。幸い余震の被害もなく、家族は無事だった。
横浜市中で甚大な被害があったと聞いたのは、後になってから。電話もラジオも普及していない時代。新聞も休刊を余儀なくされ、情報を知るのは容易ではなかった。
やがて漁師の家に嫁いだチヨさん。平潟湾で海苔を養殖し、1男3女を育て上げた。この11月で100歳を迎えるが、取材にも元気にハキハキと答える姿が印象的だ。「今があるのは、丈夫な体と周りの皆さんのおかげ」と笑顔を見せる。
チヨさんは最後にこう話してくれた。「(苦しいとき)知恵を絞れば耐えられる。今の人たちには『耐える精神』を身につけてほしいですね」。災害に負けないためには、そんな強い気持ちも重要なのかもしれない。
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