連載 かねさわ地名抄 第16回「大道」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
国道16号と六浦で交差する環状4号(六浦原宿線)を大船方向に進み、沿道の古刹・光伝寺を過ぎて侍従川に掛かる橋を渡ると道を挟んで左右、細長く続く街並みは、大道町1・2丁目である。この道に沿って大道の名が付くバス停留所が、4カ所も続く。
大道という地名は日本中の各地に存在する。大きい道、主要道路という意味と取れる。遠い昔の律令制度ができた頃、官道が各地に敷かれたが、その地域に大道と呼ばれる地名が多く残っていると言われる。
鎌倉期には幕府が鎌倉と六浦湊を結ぶため、朝夷奈の切通を整備した。鎌倉の都市機能の維持に必要な物資流通、あるいは軍事上、最重要道路のひとつであった(六浦道、塩の道)。
大道の谷戸(現在の宝樹院の崖の下奥付近一帯)に、大道山常福寺(明治期に廃寺)という、金沢北条氏の菩提寺である称名寺の末寺があった。鎌倉幕府が滅んだ後、称名寺は荒廃した。室町期の鎌倉公方であった足利持氏は、これを大変憂い、修理費用を捻出するため、常福寺門前の道に関所を設置し、通行する人々の荷駄に関料を科して、これに充てたと言う。実際にこの内容を示す古文書も金沢文庫に残っている。
このあたりは昭和初期、久良岐郡六浦荘字三分大道と呼ばれていたが、1980(昭和55)年7月に六浦町、朝比奈町から分立して大道町となった。六浦大道は中世から見られる古い地名であり、六浦荘村の字名を取ったものである。
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