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24日はスポーツの日 走る続ける全盲ランナー パラ五輪4位、フルマラソン233回完走

スポーツ

公開:2020年7月23日

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東京マラソンの完走メダルと上杉さん
東京マラソンの完走メダルと上杉さん

 あす24日はスポーツの日。全盲ランナーとして、ソウルパラリンピック4位、フルマラソン233回という快挙を成し遂げた磯子区磯子在住の上杉惇さん(84)=人物風土記で紹介=に障害者とスポーツをテーマに話を聞いた。

 上杉さんが初めてフルマラソンを走ったのは1980年。当時は「障害者がスポーツをする」ということが、社会に浸透していなかった。著書「全盲ランナー」の一文によれば「主催者側に盲人が健常者と一緒に走ることを特別視する風潮が濃厚にあった」という。

主催が完走を拒否

 上杉さんが「今でも鮮明に覚えている」と話すのは1981年に開催された第1回横浜マラソン。「運営側から障害者は参加できない旨を伝えられた」。そこで上杉さんは目が見えないことを隠してエントリー。当日、一般人にまぎれて伴走者とスタートした。道中は問題なかったが、ゴール間際にスタッフが上杉さんに気付いた。「ゴールさせるな」という声に伴走者の「どうする?」という問い。上杉さんは構わず、「突っ込め!」とゴールに飛び込んだ。記録は残らなかったが、「大満足でした」と振り返る。翌年の同大会は運営の姿勢が一変。開会式で市長から、全参加者の前で紹介された。自らの行動で世間の認識を変えてきた。

 「自分にとっての誇り」と話すのが1988年にソウルパラリンピックで初めて行われたブラインド(全盲)マラソンに出場し、3時間2分14秒で4位入賞を果たしたことだ。伴走者はボストンマラソンで優勝した山田敬蔵さん。川崎市に住む山田さんとの練習は、多摩川の土手。上杉さんは始発で川崎駅に行き、早朝5時から練習を積んだと懐かしむ。

 海外のマラソン大会にも果敢に挑戦した。その数9回。伴走者は現地のボランティアらが務めることが多く、こうした交流もマラソンの魅力の一つだという。「様々な出会いがあったから豊かな人生が送れた」とほほ笑む。さらに勤務先の盲学校でジョギング部を立ち上げ、後進の指導にあたった。

 今の目標は、「地元の人が少ないから」という理由で避けていたホノルルマラソンの完走だ。挑戦し続けるその姿勢で、今なお障害者スポーツの先陣を切って走る。

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