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中区・西区版 公開:2015年7月23日 エリアトップへ

警報にビクビクする毎日 横浜大空襲経験者鈴木操さん(83)

社会

公開:2015年7月23日

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空襲の体験を語る鈴木さん
空襲の体験を語る鈴木さん

 1945(昭和20)年5月29日、中区や西区など横浜の市街地は、米軍機の空襲により猛火につつまれた。直後の公式発表によれば死者は3650人、罹災者は31万人超に及んだ。体験者には、当時の記憶が生々しく残っている。

焼夷弾の雨

 70年前のその日、中学に入学したばかりの鈴木操さん(83)=中区打越=は蒔田(南区榎町)の家で焼夷弾に襲われた。朝から2度の警戒警報があり登校していなかったのだ。午前10時ごろ、これまでにない600機におよぶB29の編隊が襲来、次々に焼夷弾を投下していった。

 家には母と二人きり。7つ上の姉は、杉田の軍需工場に出ていた。「B29は独特の低音がするんですよ。悪魔の囁きの様です」と、その音は鈴木さんの耳にいまもこびりついている。

 「ザザザザザーと雨のような音がして、その後にバーン」。逃げ込んでいた防空壕から飛び出すと数mしか離れていない家が火柱を上げて「バンバン燃えていた」。そんな状況にも関わらず、鈴木さんは日頃からの防火訓練どおりバケツで井戸から水を汲み燃えさかる炎に2、3杯かけたという。「消せる訳ないんですけどね、洗脳されているというのは恐ろしいもので体が動いた」と振り返る。

敗戦に呆然

 逃げ道には両側から炎が覆いかぶさってくる。地を這うように逃げたという。「500mくらい進んだら爆撃されておらず、何でもないんですね」と隣町の寺に身を寄せた。

 そこで焼夷弾の投下を目の当たりした。「束で投下されて途中でパーッと見事に散らばるんです。制空権はアメリカに握られていたので、迎え撃つ戦闘機は一機もなくやりたい放題だっただろうね」

 家を失った鈴木さんは、六ッ川の叔母の家で生活することに。小学生のころに疎開していた藤沢市北部の農家を訪れていた8月15日、玉音放送を聞いた。「劣勢なのは分かりましたが、まさか負けるとは思っていなかった」と呆然としたのを覚えているという。

「戦争は絶対にダメ」

 「東京がやられたのが3月10日。いずれ横浜もやられると思っていました」。5月29日以前にも局所的な爆撃はあり、大抵、夜中に警報のサイレンが鳴る。「おちおち寝ていられない」。いつでも逃げられるようにと防災頭巾などを枕元に用意し「毎日ビクビクしていました」と安心できる夜はなかった。

 鈴木さんは幸運にも親兄弟を失わず終戦を迎えたが、空襲で肉親を失った人は多い。「戦争は絶対にやっちゃいけないね」。改めてその言葉の重みを感じる70年目の夏を迎える。
 

戦後70年 語り継ぐ戦争の記憶

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