本牧 気まぐれ歴史散歩 78 『御影堂』 本牧の祖先たちが眠る場所
公家や武家などの一部の特権階級だけでなく、庶民も亡くなると墓石を建てて供養するようになったのは、江戸中期になってからのことです。キリスト教の禁教ために行われた寺請制度や宗門改により、庶民と寺院の結びつきが強くなったことで、彼岸(来世)と此岸(しがん・現世)が最も近づくとされる春分・秋分に墓参りをし、正月と盆には祖先を家に迎える習慣は、その頃から庶民の年中行事になっていきました。
祖先たちの墓は人里から少し離れた小高い丘の上に建てられ、現世の人々を見守る存在となりました。本牧元町の千蔵寺裏にある御影堂(ごえいどう)は、現在では住宅街に取り囲まれていますが、江戸期から子孫たちに護り継がれている由緒ある墓所です。幕末に本牧沖に停泊したペリー艦隊の黒船で、林大学ら幕臣たちが日米和親条約の締結交渉をしているとき、本牧の沿岸部は西洋砲術に長けていた因州鳥取藩が警護を担当しました。その期間中に鳥取藩士の使用人が6人ほど亡くなったようで、彼らの供養塔が御影堂に建てられています。使用人は「お小人(こびと)」と呼ばれていたことから、この供養塔は「お小人の墓」と呼ばれています。ペリー来航を伝える貴重な文化財ですが、風化により損傷も激しいことから、行政主導で保存してくださることを願っています。
御影堂から市営バスが走る通りへ向かっていこうかと思います。
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