1945年の太平洋戦争敗戦までの3年間、宮崎から高津区梶ヶ谷にかけての丘陵地帯にあった陸軍東部62部隊。今は名残りもなく別の建物が建っているが、宮崎中学校北側には、衛兵所と営倉があった。
衛兵所は部隊正門の守衛所として、旧大山街道から同中北側を少し入った所に建てられた。門両側に築いた2mほどの土堤の上に1・5mの有刺鉄線が張り巡らされ、兵隊が巡回していた。正門前は、休日の度に街道を歩いて面会に来た家族で溢れかえったという。
衛兵所の西隣には営倉があり、兵の牢屋として使われた。当時、各中隊で一人ほどいた逃亡兵が憲兵に逮捕されると、ここに3日間閉じ込められたそう。
取材協力=みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会
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