市議会議員2期、県議会議員2期の経験を訴えた選挙戦。4年間の浪人時代を経て、市議会議員に返り咲きを果たした。「前回の落選が人として一回り成長させてくれた」としみじみと語る。
川崎生まれ横浜育ち。原辰徳さんにあこがれ小1から野球一筋。中2のときに桑田・清原を擁するPL学園と東海大山形の対戦をテレビ観戦して衝撃を受けた。「7対29の歴史的大敗に、悔しくてリベンジを誓った」と山形へ。ひたすら練習に励み、高3の夏には甲子園の土を踏んだ。
「議員の顔と名前を覚えるのが得意だった」。赤坂プリンスホテルに勤め、政治家が身近な存在になった。「中から見てみたい」と国会議員秘書に転じ、2003年に市議会議員となった。
どんなに忙しい時でも愛用のグローブを磨くことは欠かさない。地元の少年野球チームでは、監督として「物を大切にしよう」と指導した。「どうしたら勝てるか、野球を通じて世の中で通用する人材育成をめざした」と振り返る。草野球チームでは今も現役だ。「野球から様々なことを学んだ。今後も子どもたちに良さを伝えていきたい」と将来を見据える。