市政報告 殿町・羽田連絡橋を川崎・大田の市民の架橋に! ―大師橋命名秘話が届く―川崎市議会議員 みらい川崎市議団 飯塚正良
かねてより待望久しかった羽田連絡橋の完成が令和3年度内という発表をうけて橋の名称の募集が行われました。2月15日に締め切られ、約8500件の応募があったそうです。
先日川崎区史研究会荒金民雄氏より、羽田連絡橋の多摩川上流よりに架かる「大師橋」命名の秘話が届きました。入谷清久著「文学に現れた川崎大師」の中に、大師橋は昭和14年竣工、大師橋の名称は平間寺第43世高橋隆超貫首の進言によって命名されたとあります。
当時大師橋架橋にあたっては東京府6割、神奈川県4割の費用負担であり、東京側から命名するのが当然とし、「六郷橋」に倣い「羽田橋」とすることにほぼ決まっていました。しかし貫首は各方面を粘り強く説得し「大師橋」となりました。羽田側の反対も根強く、大師橋の下流にもう一本架橋があるときは「羽田橋」とすることで折合いをつけたと貫首は語っています。
80年前の対立を乗り越えて、今回の命名は川崎東京双方から募集し、末永く愛される名称であってもらいたい。何よりも大切なのは川崎・羽田双方の協力と共同で、お互いの納得づくで行っていただきたいと思います。
今日、多摩川を挟んでリバーサイドの一体化が求められています。東京側には「羽田グローバルウイングズ」、日本屈指のものづくり技術の集積と羽田空港のゲートウェイ機能を結ぶ拠点。川崎側の「殿町キングスカイフロント」は世界最高水準の研究開発から新産業を創出するオープンイノベーション拠点。二つの拠点を一つにしていく架橋の誕生です。
2006年、大師橋新橋竣工式に親・子・孫三代で渡り初めを行ったのは川崎側榎本家、羽田側安藤家それぞれ海に関わる生業の方々でした。もともと多摩川を挟んで行ったり来たりの間柄だったといいます。新たな殿町・羽田連絡橋竣工式に行われる渡り初めが楽しみです。
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4月26日
4月19日