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あつぎ60年どんなかんじ? 「還暦」の歴史を振り返る

社会

公開:2015年1月1日

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昭和30年代(上)と今の本厚木駅前
昭和30年代(上)と今の本厚木駅前

 今年2月1日は、厚木市が生まれて60周年を迎える記念すべき日。人間で言えば還暦を迎える厚木の街は、発展と停滞の道をたどってきた。厚木の歴史を10年ごとに、漢字一文字をキーワードに振り返る。

 昭和30(1955)年2月1日、県内13番目の市として誕生した厚木市。厚木町と南毛利村、睦合村、小鮎村、玉川村が合併し、のちに相川、依知、荻野の3村が加わりいまの市域となった。

 厚木の工業発展の「礎」となった昭和30年代。35年にはソニー(株)が厚木工場を開設。37年には内陸工業団地の造成が始まった。一方商業面では本厚木駅前土地区画整理事業の完成(36年)や、長崎屋厚木店の開店(37年)、厚木初のスーパーマーケット、スーパーせきや開店(38年)などがあった。

 昭和40年代は「道」が大きな変革をもたらした。東名高速道路の東京〜厚木間完成(43年)。翌年には全線が開通、小田原厚木道路も整備され、同時に国道のバイパスも相次いで完成。本厚木駅前の高層化も進み、44年には丸井厚木店が開店。駅前の「中野通り」が「厚木一番街」へと名を変えたのもこの年だった。

 「商」の形が変わっていったのは昭和50年代。イトーヨーカドーが50年に開店し、中心市街地の近代化が加速する。51年1月には本厚木駅の立体化が完成。56年には中町立体駐車場・厚木ガーデンシティビルが完成し、ダックシティ(現イオン)がオープン。翌年には小田急本厚木ミロードが開店した。

 昭和から平成へと年号の変わった10年間は、市内の風景も「変」化した。昭和60年には厚木シティプラザが全館オープン。新たな街、森の里地区が産声を上げた。62年には依知小・戸田小が開校。人口も20万人を突破した。平成6年には厚木パルコが開店。

 市制50周年を迎えた平成17年までの10年は、厚木の大きな「転」機となった時代かもしれない。隣の海老名市に大型の商業施設ができ人の流れが変わっていく一方、14年に長崎屋が閉店し、15年には青山学院大学厚木キャンパスが閉鎖。県央の一大都市として発展してきた厚木の勢いに、陰りが見え始めた10年間だった。

 そして今年へと続く10年間。パルコが撤退し、右肩上がりだった人口も初めて減少に転じるなか、厚木IC周辺の再開発やさがみ縦貫道路の開通により、高速道路周辺に店舗や物流施設が増加。街なかでは昨年、アミューあつぎやミロードイーストがオープン。にぎわい「再」生に動き出した時代だった。B-1グランプリのシロコロ・ホルモンやあゆコロちゃんの「豚」も節目節目で脚光を浴びた。

 舞台は次の10年へ。どんな漢字がふさわしい時代になるのか、それはこの街に暮らす「人」次第なのかもしれない。

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