無観客開催
オリンピックが無観客で行われたことは残念であった。地元の大声援があれば、結果が違った選手もいたかもしれないと思うと同情を禁じ得ない。その一方で、格闘系の競技などは無観客の静寂の中、選手の発する気合や荒い息だけが響いて果し合いのようなヒリヒリ感が生まれ、鍛えられた肉体の凄さがより鮮明に伝わった部分もあった。
私が携わる演劇において、無観客公演は、演劇の自殺に等しき異常事態である。それでも観客のいない稽古場で、本番以上にスリリングな役者同志の掛け合いなどが発生することがある。たまたまそこに居合わせた、限られた関係者だけが目撃する幸運を得る奇跡の瞬間であるが、見せよう、と言う意識が消えた時に、逆に見えて来る本質もあると教えられる。
近年のオリンピックの商業主義が大批判を受け、新型コロナ感染拡大の中での強引な開催への不安感も膨んで、アンチ・オリンピック派をたくさん生んだ東京2020であった。でも始まってしまえば、テレビ観戦に夢中になったアンチ派も多かった。それはお祭り感が排されて、淡々と競技だけに集中してゆくなかで、各競技の魅力と、勝負に人生を賭けた選手たちの情熱が、シンプルにクローズアップされる効果を生んでいたのが一因だと私は思う。観客がいなくても声援が全くなくても、彼らの真剣勝負は揺るがなかった。アスリートたちの矜持に触れた大会だった。
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