ピアニストとして、昨年度の日本芸術院賞を受賞した 野島 稔さん 大津在住 69歳
ピアノの真髄 次世代に
○…「今までの積み重ねを、皆さんに認めていただいたことが嬉しい」。昨年度の日本芸術院賞に選ばれ、今月1日には天皇・皇后陛下ご臨席のもと、授賞式に出席。正統派ピアニストとして国内外での功績に加え、後進の育成活動も評価された形だ。
○…自宅にあったオルガンが初めての鍵盤楽器。姉に倣ってピアノを習い始めたのは「はっきりと覚えていないけど、3歳と少し」。両親の後押しもあり、小学1年生の時には毎週、鵠沼まで習いに行くようになった。「江ノ電に乗るのも楽しみだった」という少年は、ソルフュージュや聴音といった技術を身につけ、大津小4年の時に学生音楽コンクールで優勝。これを機に、10歳でN響と共演し、演奏旅行も経験した。「自分の進む道にはピアノがある」。大学進学後、恩師に勧められ、モスクワ音楽院へ留学。冷戦後、文化的な交流がやっと始まりつつあった時期だ。海外への留学そのものが大変だっただけでなく、マイナス20℃の極寒と独りの生活。そんな環境が自分を強くした。「情報に惑わされず、自分の内側を見つめるには良い機会だった」。さらに「音楽を愛する聴衆と、世界最高のレベルの先生に囲まれて学べたのは幸運」と振り返る。
○…著名なコンクールで成績を収め、アメリカ・ヨーロッパ各地のリサイタルやオーケストラとの共演で世界を渡り歩く。現在は、東京音楽大学の学長を務め、指導に当たる多忙な日々。「都内は音に溢れていて、無頓着。音の感覚も空気も違う」と居心地の良さは断然、横須賀だ。音楽家としての感性を研ぎ澄ますため、遅くなっても大津の自宅に帰っているという。
○…2006年から隔年で、自身の名前を冠にしたピアノコンクールを開催する。出場するのは、10代後半から20代の成長著しい若手。「私の時代よりもすんなりとピアノに溶け込めている」と評価。多くの輝く”芽”の成長に期待する。
|
<PR>
|
|
|
|
|
|