横須賀市医師会副会長で、市在宅療養連携会議の座長を務める 千場 純さん 鶴が丘在勤 67歳
「最期を家で」支援の形探る
○…「基盤づくりは1日にしてならず」。横須賀市医師会が地域・在宅医療の事業に着手したのが90年代後半。以降、行政を含めた多職種と連携し、その取り組みを深めてきた。「病院の中だけが医療ではない」。これを地域に繋げるべく奔走する。
○…体が弱く、入退院を繰り返していた幼少時代、医師は憧れの存在。一方で自宅の土いじりを手伝い、農業の楽しさも見出していた。両天秤で選んだ進路は医学部。旅とアルバイトの日々に「良く言えば、見分を深めるための学び」と振り返る。漠然と「将来は僻地で医療ができれば」とも描いていた。研修医として地元横浜に戻ったが、その「フィールドワーク」の血が騒いだ。大学病院の近く、80年代の元町。河川に繋がれた「だるま船」に出入りするようになった。水上生活者を取り巻く文化や生き様。「半農半医だね」。医療に身を置く中で、これらを観察する自分がいた。
○…呼吸器やリウマチの専門医として勤務を始めたが、退院した患者の”その後の生活”が気にかかった。「家に帰りたい」とこぼす人も。当時は制度もなく、個人ででき得る範囲も限られていた。市内の総合病院で在宅医療に携わり、鶴が丘の三輪医院へ。時代の変化もあり、「頭の中にあったくすぶりが、少しずつ動いた」。市内機関の連携を深める中で、「診療だけではない、コミュニティ拠点を」と昨年、医院近くに在宅での療養を支援する「しろいにじの家」を開設した。住み慣れた地域での「看取りの形」を模索する。
○…在宅医として、24時間張りつめた生活かと思いきや「オンとオフはゆるやか」と笑顔を見せる。とはいえ、時に「土いじりが恋しくなる」とも。自分の役割は「白衣を脱いだ医療」。見据えるのはもう少し先だ。生産人口が減り団塊世代が90歳前後となる2040年に危機感を抱く。「その時、何ができているのか。今は種を蒔いているところです」
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