観音崎砲台をめぐるガイドツアー(=今月27日)で案内役を務める 佐藤 正弘さん 東京湾要塞研究家 54歳
「事実」を埋もれさせない
○…観音崎公園の展望園地。東京湾を見渡せるスポットとして知られるが、ここにも明治期の砲台跡を見ることができる。写真撮影をする際に案内してくれた。バックには、日露戦争で使われた28サンチ榴弾砲の実物大模型。足元を指しながら「ここに階段があったのだと思います」と解説する。観音崎は、明治〜大正〜昭和と、東京湾防備を担った要の地。「余計なお世話かもしれないけど、埋もれさせてはいけない」。その思いで調査を続ける。
○…案内役を務めるガイドツアーでは、公園内に残る砲台跡や弾薬庫といった遺構を約10カ所めぐる。過去に参加した地元の住民からも「(歴史や遺構の存在を)知らなかった」との反応があったという。ここに、明治維新以降、日本で初の西洋式砲台が整備されていた。決して戦争を美化するのではなく、「事実は事実として正確に知るべき。恐い、反対と言うだけでは何も変わらないのです」
○…本格的に調査に乗り出したのは10年前。明治以降の要塞を専門に研究した人がいないことを知り、「誰かが残していかなければ無くなってしまう」と危機感を覚えた。関連書籍を読み漁り、現地に向かい、当時を知る人に話を聞く。三浦半島から房総までくまなく歩いた。調査内容はHPで発信。今もライフワークとして、休日にはひとり自らの足で「事実」を調べている。
○…重いテーマのようにも聞こえるが、当の本人は物腰柔らかい。ツアー参加者募集のチラシやHPには「東京湾要塞研究家 デビット佐藤」と名乗り、肩書きと名前のギャップに興味をそそられる。「若い頃バンドをやっていて、その時の名前をそのまま使っているんです」。自身の歴史を語る場面では、多少の気恥ずかしさも垣間見える。将来的には、猿島に負けないくらい観音崎が注目されてほしい、三浦半島を修学旅行で平和教育の場にしたいと願いはたくさん。まだ歩みを止めるわけにはいかない。
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