本牧 気まぐれ歴史散歩 【2】 『本牧十二天から続いた自然豊かな海』
開港場・巨大港湾都市でイメージされる横浜ですが、ほんの50数年前まで本牧十二天から南の横浜沿岸部は、砂浜と岬が続く自然豊かな海でした。
葛飾北斎の傑作『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』に描かれている3艘の船は、押送船(おしおくりぶね)と呼ばれる江戸時代の高速運搬船です。本牧の夏祭り『お馬流し』の祭礼船のモデルとされており、本牧の漁師はこの船を使って江戸へ鮮魚を供給していました。
また、本牧の海は古くから風光明媚な場所として知られ、江戸時代には北斎や初代広重が、明治に入ると高橋由一や黒田清輝が本牧の海を描きました。明治44年に横浜電気鉄道(のちの横浜市電)が本牧まで延伸すると、海水浴場やレジャー施設も誕生し、埋立工事が本格化する昭和38年まで、たくさんの人が本牧の海を訪れました。
目の前には青い海、西にはそびえる富士山、夏には心地よい潮風、冬にはパリパリと小さく響く海苔の乾く音。砂浜にはアサリをむく人、お弁当を食べる親子。沖合いには打瀬船(うたせぶね・帆かけ船の一種)。
今はその光景も大きく様変わりしましたが、その面影は今も本牧のところどころで感じることができます。
次回は十二天から少し南へ歩いたところに住んでいた文豪のお話です。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
|
<PR>
|
|
|
|
|
|
|
<PR>